株をやっていく上で、兜神社は押さえておくべき場所と思いお参りに行ってきました。
実は参った翌日から保有株が10%も値上がりました。そのときのルートはこちらです。
兜神社 ⇒ 日乃屋カレーのカツカレー ⇒ 摂社日枝神社です。これは私にとって株価上昇のルーティーンかも・・・www
そんなパワーのある兜神社ですが、「証券界の守り神」と言われています。
なぜ「証券界の守り神」とされるまでになったのか知りたいと思いその由来を投稿します。
兜神社の由来
基本情報
引用元:兜神社世話人会/商業の神様「兜神社」の由来より
- 御社号 兜神社
- 御祭神 主なる祭神
「商業の守護神」
・倉稲魂命(=稲荷神の別名)
「合祀の神」
・右に大国主命(=大黒様)
・左に事代主命(=恵比寿様)- 鎮座地 中央区日本橋兜町1−8
- 祭 儀 毎年4月1日例大祭が行われる
- 御神体 神石(京都伏見稲荷の神体山の神石)
- 御神札 太政大臣三条実美公(太政大臣在任期間明治4年〜明治18年)の御社号を染筆した神札が奉納されている
- 最寄駅 茅場町駅・日本橋駅・人形町駅・三越前駅
沿 革
弘化2年(1845)版の「楓川鎧の渡古跡考」の地図に、牧野邸の東北隅鎧の渡近くに鎧稲荷(平将門を祭ったのが起源とも言われている)と兜塚が描かれており、この頃すでに当地の鎮守として、また魚河岸へ出入りする漁民により信仰を集めていた。
明治4年(1871)
東京商社(三井物産の前身)の移転にともない、鎧稲荷と兜塚は鎧の渡と兜橋の中間に遷された。この時、兜塚として祭られていた源義家公の御神霊を神社として社を創建して祀り、さらにこの神社は鎧稲荷と合併して、新たに兜町の鎮守・兜神社として定められた。
明治7年(1874)
お祀りする祭神に変更があり、祭神源義家公の祭祀を廃止して、新たに三井家(兜町1丁目の土地を所有する地主)の信仰をしていた三囲稲荷神社(隅田区向島2丁目に鎮座)の境内摂社である福神社より多大国主命と事代主命のご分霊を勧請して合祀した。
明治11年(1878)
東京株式取引所の設立に伴い、当取引所が兜神社の氏子総代となり依頼証券界から信仰を集めるようになる。
昭和2年(1927)
日本橋川と楓川の分岐点の角地・兜橋東詰北側の62坪の敷地(現在の場所)に再度移転し、鉄筋コンクリート造りの社殿を造営した。引用元:兜神社世話人会/商業の神様「兜神社」の由来より
昭和46年(1971)
高速道路の建設に伴い旧社殿を解体し、現在の鉄筋コンクリート、一間社流造・向拝付きの社殿を造営し現在に至る。
兜岩の由来
現在、社前左にある兜岩の由来には、下記諸説あるが、裏付となるものは何も残っていない。
引用元:兜神社世話人会/商業の神様「兜神社」の由来より
- 源義家奥州より凱旋の際、東夷鎮定のため、兜を楓川のほとりに埋め一塊の塚となし、これを兜塚といった。
- 前9年の役の頃、源義家が東征のみぎり岩に兜を懸けて戦勝を祈願したことからこの岩を兜岩と呼ぶようになった。
- 俵藤太秀郷(=藤原秀郷)、平親王(平将門の尊称、天慶3年(940年)2月14日戦死)の首を打って兜に添えて是まで持来れるが、兜を慈に埋めて塚となし兜山という。
御朱印
兜神社の御朱印は、摂社日枝神社でもらうことができます。
御朱印 各初穂料:500円
近くのランチ
兜神社近くのガード下にある日乃屋カレーです。結構ゆれます・・・。
投資や投機でうまくいかないときは、気分転換に兜神社と摂社日枝神社へ行くのもありかと思いました。
コメント
これは毎週、祈願に行かないとですね!
本当ですね!もっと株にゆかりある神社見つけたいと思っています。